特別養護老人ホーム、認知症対応グループホーム、老人保健施設へ書類を提出し順番を待つことになったある日、老健から電話が来ました。あと一ヶ月少々で入所できるので家族がオリエンテーションに来てほしいとの事です。その時7番目だった順番は、他の施設に入所された方や病院に入院された方、他の事情で入所希望を取り下げた方などで、いっきに1番になってしまったのです。見込みより半年以上早く順番がきてしまいました。

書棚にあった家庭裁判所の封筒は、いつの間にか机の上にありました。病院に入院している間に診断書や鑑定のお願いをしなければならないのです。病院へは以前よりそれとなく打診していたので、早速電話でお願いし指定の診断書を送る運びとなりました。尻尾に火がついたら面倒?だとか言っていられません。家庭裁判所へ電話して面談日の予約をしました。成年後見の申立ては申立人、後見候補者が家庭裁判所へ行き面接を受けなければなりません。

私はどうしても気になっていたことを、家庭裁判所へ電話で相談してみました。後見候補者は1名しかなれないのかということです。「後見人を決めるのは裁判所なので、候補者は複数名でも大丈夫です。面談の時にどうして後見人が複数必要なのか説明してください。」何とも明快な答えですっきりしました。主人とも相談し私も候補者の書類を提出することにしました。

前回の成年後見を考えるは、書類が書棚で眠ってしまっているためお休みです。

ある日、病院のケースワーカーから電話が来ました。「認知症は人それぞれ症状が全く異なっていてお宅は精神症状が非常に少ないので、次に行かれるところを探してほしい」というのです。やっとやっと落ち着いたと思っていたのに・・です。病院以外でどのような施設があるのか、知らないことばかりです。とにかく特別養護老人ホーム、グループホーム、老人保健施設など書類でもらい数件電話してみました。特別養護老人ホームについては300名以上待っているという話、グループホームは運営会社次第で入居条件もかなり異なっていることがわかりました。とりあえず目で確かめなければ糸口が掴めないと数日かかっても出来る限りたくさん見てみようと帰省しました。

特養は今回書類を提出するだけ、数年単位で考えても順番が来るとは思えません。ここならと思っていたグループホームに事前連絡して義母を連れて行きましたが、もっと認知症状が軽い人でないと無理と即日断られてしまいました。義母抜きで行ったグループホームは設備は満点だけれど何か機械的で冷たい感じ、満室だったので保留にしてもう2件、行きたかったのですが道に迷ってしまった上暗くなり、その日は断念しました。翌日も数件見てまわり、午後前日行き着くことの出来なかったグループホームで面談し、やはり満室だけれど民家を改装した温かみのある実家に似た雰囲気と施設長の人柄に「この施設しかない」と予約をしました。誰かが特養に出るか病気で出るか亡くなるかを待つのは心苦しいですが仕方ありません。

帰り道、すっかり日も傾きいつも利用するスーパー前の駐車場横に老人保健施設があり、駄目もとで立ち寄ってみました。運良く相談員の方が面談に応じてくださりグループホームまでのつなぎということで入所可能と言ってくださり早速入院中の病院へ連絡してくださいました。ただし順番待ちは7番目です。入院中の病院でも老建の順番が来るまでの入院は承諾してくださり、昨日までの苦労は何だったのだろうというくらいのスピードで事が進みました。

病院→老人保健施設→グループホームと順調に進めばこうなります。

義母は主人にとって母なれど銀行から見たら他人と同じ・・・でした。

いつも生活を共にしている親であれば、年金の受け取りはどこの銀行で、定期預金はここでと知っている情報も多いでしょう。信頼関係があればカードを利用して預金の引き出しなど代理行為を任されるかも知れません。

義母の場合、印鑑さえ一致するものが見つけられなかったのです。とりあえず銀行に行き事情を説明し持参した戸籍謄本で親子関係は認めてもらえたけれど手続きの一切が出来ません。義母本人が自意識を持たない状態であることの証明が必要で、成年後見制度を利用する以外に方法がないと言われました。

成年後見という制度については知っていましたし、どのような立場になりどのような仕事をするのかも机上では理解していました。でもまさか義母が該当するなんて考えてもいなかったのです。

とりあえず、家庭裁判所に行き提出書類一式を手にして帰ることになりました。

平日、幹線道路は大渋滞になってしまうので少し早めに義母を迎えに病院へ行きました。朝食が抜きだった事に憤慨しているかと心配していましたが、義母は食事をしなかった事を忘れているようでした。外出用のお気に入りのコートを持っていったおかげで上機嫌のままタクシーに乗せ景色を楽しみながら病院へ向かうことができました。

待合室はとても混んでおり、車椅子が通路を塞ぎとても待てる状況ではありません。受付は済ませたものの救急車も数台入っていて予約時間が相当ずれ込みそうな感じです。義母は車椅子から立とうとしたり、車椅子を足で蹴って動かそうとしたり落ち着きがありません。私たちの困っている様子を見かねたのでしょう、看護師さんが入院棟のディルームのような場所へ案内してくれました。順番近くなったら呼びに来てくれると言います。テーブルがあり数名の入院患者さんが寛いでいました。義母もそこで新聞を開いたり閉じたりしながら順番が来るのを待ちました。

義母が呼ばれて処置室に入って出てくるまでの早いこと。あっという間の出来事でした。「すごいんですよ。○○さんカメラを掴んで咽喉から引っ張り出そうとするんですよ。本当に危なかったんですよ。」看護師さんから言われて、丁寧に謝ることしかできませんでしたが何はともあれ会計を済ませ義母の胃ろうは無事外すことができました。

お正月に面会に行き、ほっとしたのもつかの間病院のケースワーカーから電話がきました。「食事が口から取れるようになったので、胃ろうを外してください。」何の事だかさっぱりわからなかったのですが、普通食に近い食事ができるようになったので胃ろうを外してほしい。当病院ではできません。胃ろうを外すには、取り付けた急性期病院に家族が外来の予約を入れる。その日は家族が病院へ連れて行き連れ帰るまでの事をしてほしいという事でした。

早速、急性期病院へ胃ろう取り外しの予約電話をしました。胃カメラを入れながらの処置で短時間で終了するとのことで入院の必要は無く、朝食抜きで予約時間に連れて行き処置が終わればすぐに帰ることが可能なのだと説明がありました。

今回は車椅子で病院玄関まで行きタクシーに乗せ、着いた病院の車椅子を利用させてもらうことになりました。予約日を入院している病院へ連絡し、当日の朝食を抜いてもらうこと、もしものために紙おむつを持たせてもらえるようお願いしました。

義母は胃ろうを造設して2ヶ月半で取り外すことになりました。

年末年始とあわただしく時が流れ、正月三が日を過ぎた頃、「松の内に様子を見に行ってこないか」と主人に誘われ車中の人となりました。

東海道山陽新幹線も昔に比べたら非常に快適になりましたし、時間短縮は本当に助かります。途中義父の墓参りに京都で下車しても夕方前には病院へ到着し面会が可能です。今回は京都へは寄らず病院へ直行することにしました。

病院で面会の手続きをし面会室へ向かうと、車椅子に座りにっこりとしている義母がいました。私たちが見た最後の姿からは想像できないほどの回復です。主治医の話は本当だったのです。義母は主人の名前も私の名前もはっきりと言い当てますしその声もしっかりとしたものです。ただ何を思うのか無意識に車椅子から立ち上がろうとします。パジャマの前ボタンを全部はずしてしまったり、袖を何回も折り返したり直したり、テーブルの上を手のひらで丁寧に何度もゴミを集めるような仕草を繰り返しています。話しかけても返事が無く義母にとっての作業が延々と続きます。

とにかく、ここまで回復して本当に良かった。しばらくこの病院で療養生活をしながら様子を見るのであろうと思っていたのです。

元の病院では、救急用の扉を開けて待っていてくださいました。ストレッチャーから病院のストレッチャーへ簡単に移動させタクシー会社の仕事は終了です。約一万円弱を主人が精算している間にサマリーなどの書類を渡し、今までの経過を聞かれるまま看護師に報告しました。

書類を見ながら主治医が「まだ77歳だから大丈夫、良かった良かったすぐに元気になるよ。胃ろうからの栄養をもう少し高カロリーにして・・・」と言いながら、製薬問屋?に注文の電話をしています。主治医の明るい顔を見ても半信半疑な私たちでした。何しろ意識があるのか無いのか、意思疎通が図れなくなってから2ヶ月と少し、肺炎、脳炎、肺水腫、真菌症、胆嚢炎・・・いろいろ病名がついていましたから、元気になるという言葉が嘘のように聞こえていました。

ともあれ、入院手続きをして再入院となりました。

 退院手続きもあったので、かなり早めに病院へ到着しました。前もって退院日が確定していたこともあり転院に必要な看護サマリーなどきちんと用意されていました。

 タクシー会社のストレッチャーが到着。偶然にも義母は眠っています。どうやってベッドから移動させるのだろうと考える間もなく、運転手&助手さんが超大きめなバスタオルを義母の下に敷いたと思ったらイチ、ニ、サンの掛け声よろしく簡単に移動させてしまいました。バスタオルは敷いたままタオルケットと軽い布団をかけ準備ができてしまいました。

 私たちも同上させてもらい、元病院へ出発。約一ヶ月半弱の治療でした。がこの時点では寝たきりの義母が認知症専門病院へ戻って果たしてどこまで回復するのか・・・。

 心配と不安を乗せて小雪舞う道を元病院へ向かいました。

 何種類目かの抗生剤がヒットしたようで、次に医師より電話をもらったのは「胃ろうの造設を明日しますから、必要書類をファックスします。一週間後退院してください。」というものでした。当初より入院の目的が胃ろうでしたが、こんなに早くできるとは思っていませんでした。早速病院の相談室に連絡を取り、退院日を決め、元の病院への連絡、ストレッチャー付タクシーの予約。切符を手配と忙しくなりました。

 タクシー会社にストレッチャー付のものがあるなんて知りませんでした。運転手と補助員が付くそうで、何もかも手探り状態の私たちには頼もしいかぎりです。

 退院前日に元病院へは不要なパジャマやバスタオルなどをある程度持ち帰りました。義母は意識があるのか無いのかはっきりしないように思えるし、このような状態の人を退院させて大丈夫なの?と疑問に思いましたが、看護師さんの話では一日の中で良い時間と悪い時間があるそうで私たちが会うときはいつも悪い時間帯のようです。

胃ろうのおかげか、義母の頬に赤みがさしている様に思いました。

先生は開口一番、ウイルス性のものではありませんね、日和見性のカビと思われます。中心静脈の処置はしましたが二日目には静脈周りが真っ白になるほどカビが付いてしまい危険ですので外しました。脳炎をおこしていますし肺に水も溜まっています。非常に良い薬が数種類ありますから治療していきましょう。はいお引取りくださって結構ですよ。三分以内だったかも・・・・・。

先生は週一回以上病状について連絡をいれると言ってくださったし、看護師の皆さんは非常に親切です。義母が意識朦朧としていても明るい声で呼びかけてくださいます。食事が出来ない時こそ口腔内洗浄が大切と専門の方がケアしてくださいます。

この病院へ通うだけで精一杯だった私たちは、この日やっと義母の環境の良さを知ったのでした。

義母は、真菌、カンジダ菌類による感染症と診断されました。カンジダ菌と聞くと汚いものと想像されやすいですが、人の体内に普通に持ち合わせている菌で急激な体力低下や消耗性疾患、極度のストレスなどが原因で感染発症するようです。

休日の病院は急患のみの診療で、明後日にならなければ各種検査も出来ず更に結果待ちの状態になり、来週結果が出ていたら主人だけ病院へ来る約束をして帰ることにしました。医師を信頼してお願いするよりなす術がない私たちです。

週の途中、ある程度の検査結果が出ていると医師より直接電話がありました。全身状態が良くないので中心静脈の処置をしたいが、家族の同意書が必要である。急を要するのでファックスで送る書類に署名押印して送り返してほしい、病状については外来診療日に来てほしいとの事でした。義母の両腕、手の甲、足首は内出血で真っ紫状態であったのを二人で見ていましたし、今の状態から打開する方法はそれしかないのであれば同意する以外には選択の余地がありません。

平日の外来で医師が説明してくださるという事で、結局二人で病院へ向かいました。先生に会うまで時間があったので先に義母に会おうと病室へ行ったのですが・・・。義母の鎖骨のあたりにあるはずの中心静脈がありません。絆創膏が貼られているだけなのです。そしていつもの痛々しい静脈点滴がついていたのです。

こちらの仕事に段取りをつけ、翌日午後に転院先の病院に到着しました。義母は内科のナースステーション横の集中治療室に入院していました。意識がはっきりしない様子で、しきりに点滴の管を触ろうとしていました。その手にはミトン〔キッチン用に似ている形で手首でしっかり止められている〕をしていました。何だかシオマネキ〔爪の大きな蟹〕のような動きですが、拘束されているより安心して見ていられます。

看護師の説明は入院手続き、入院グッズの購入、洗濯物の業者への手配方法でした。担当医とは明日会えることになりとりあえず病院を後にしました。

以前の話のとおり、義母の箪笥の中までゴキブリだらけでしたから、衣類の殆どを私たちの一存で処分してしまっていました。認知症病院に入院していた時はリースのジャージでした。そうなんです、義母にはパジャマ一枚無いのです。今日中にパジャマ7−8組、下着7−8枚、バスタオル、フェイスタオル、ハンドタオル各5枚以上、靴下数枚など購入して名前を書き、洗濯乾燥を済ませなければなりません。義母が今着用しているリースジャージは明日中に返して入院費の精算もしなくてはなりません。

とりあえず、実家近くまで戻り買い物をスタート。前開きでSサイズのパジャマは極端に品数が少ないので数件で購入、コインランドリーで値札を外し名前を記入して洗濯乾燥・・・。洗濯の間に小物の購入、乾燥の間に夕食と忙しい午後になりました。

少し前後しますが、「大きなコブ」ができた直後から義母の食欲は全くなくなっていました。その時から肺炎発覚までの間、高カロリーゼリーなど経口できそうな食品を特別購入してもらっていました。しかし飲み込む行為が上手く出来ず、咽てしまうばかりでした。認知症の症状で食欲を失ってしまったのかは不明のままでした。

主治医の言うとおり、「転院先が見つからないまま、救急車で出される」事も覚悟しなくてはならないと話し合っていた矢先、病院のケースワーカーから電話がきました。「先ほど、救急車で出発しました。転院先は少し遠いのですが・・・。まだ高熱が続いていまして・・・。転院の目的は肺炎の治療と胃ろうの造設です。またこちらに転院して貰うようになります・・・。明日にでも手続きに来られてください。到着されましたら転院先の病院から連絡が入ります、こちらも明日にでも手続きをしてください。」転院先が見つかって救急車で移動となりました。

明日から祝日、土曜、日曜と続きます。主治医はここまで計算して転院させたのでしょう。感謝、感謝です。急いで転院先病院の最寄駅を検索したのでした。

伯父から電話を貰う前、病院からも連絡が来ていました。寝場所に利用していた畳敷きから転落、しかも顔から落ちたらしく目の上から頭にかけて見事なコブが出来てしまった。転落時のショックからか不明だが高熱を出しているとの事でした。伯父からは「そりゃあ、お岩みたいな顔になっとるけえ、意識もはっきりせんし大変なことになっとるけえ、早くきてみんさい。」と言われ、翌朝、義母の弟〔叔父〕からも電話が入り「熱が下がらんようじゃけえ、怪我からきとるのと違うのかもわからんからとにかくあんたら着てみんさい」と言われました。普段から仲の良い兄弟で義母が入院してから何度も見舞っていてくれていたのだと知り感謝、感謝です。

ナースステーションに一番近い部屋には数名も患者様。皆点滴がつながっていて殆ど意識が無い方ばかりです。義母は点滴の反対の手をベッドに拘束されていました。手が届かない程度の拘束なので繋がれているという感じではありません。その手を無意識に上げ空中の何かを掴もうとしています。顔は伯父のいうお岩の顔そのもので片半面頬から上が真っ青、真っ黒、所々赤い模様。頭の上には「肺炎の疑い、絶食」と書かれた張り紙がありました。意識はありますが発熱のため辛そうです。

主治医はここではこれ以上の治療は出来ない。認知症患者を受け入れる病院は非常に少ないのが現状である。もし受け入れ先が見つからない、しかし生命に危険が及ぶと判断した場合は、救急車に乗せて出します。と無謀と思えるような判断をされたのです。

三度の食事とおやつ、週に数回のお風呂。入院する時には抵抗した義母でしたが「ここの暮らしは悪くないけえね。」と語っていました。色はそれぞれですがスウェット上下が制服です。レンタルで週に数度着替えさせてもらいます。リハビリパンツやパッドはオムツ使用の頻度により異なりますが持ち込みは不可です。医療費の他に「お小遣い」を預け、そこから医療費以外の生活用品が差し引かれていく仕組みになっていました。デイルームは広く小上がりの畳の部分もあり、とても開放的な空間です。

義母はベッドを使用したことが無く、それだけが嫌だったのか夜になると小上がりの畳に行って寝ていたようなのです。看護師さんも気をつけて見ていてくれていたのですが、入院してから三週間したころ見舞いに行った伯父から一本の電話が入りました。

義母が入院したことでやっと掃除に取り掛かることになりました。義母が昨日まで使用していた寝室はここ数年主人は入った事が無く、いつも戸がきちんと閉められていたそうです。

その寝室は居間以上の荒れようでした。窓は固くカーテンで閉ざし、カーテンレールはいつ着たのかわからない洋服が何重にもかけてあり、どうしたらこんなに溜まるのだろうと思うほどの新聞紙、乱雑に置かれた毛布、冬ふとん、マットレス、茶色に変色したシーツそして強烈な悪臭。恐る恐る敷きふとんらしき物を持ち上げると畳が真っ黒で、身体の形に沿うように窪んでいました。ふとんが腐り、畳が腐っても義母は何も感じることが出来なくなっていたのです。

3月に京都で会った時、既に相当具合が悪くなっていたことになります。そういえば髪を染めていなかったし、いつもは颯爽とおしゃれをしてくるのに普段着のように感じたし、バッグも普段用だったし、靴も酷く汚れていた。思い出せば出すほど不自然な様子だったのにその時何故だろうと考えもしなかったのです。

義母、実母の話をあれこれブログに載せています。義母については「認知症」の病状を詳しくこれからも記すつもりでいます。私たちが加齢による物忘れだと思い込んでしまい結果的に義母の「認知症」発見を遅らせてしまった事は今更悔やんでも仕方がありません。「認知症」は病気であること、早期発見、早期治療が大変重要で或る事を少しでも多くの老親を持つ皆様に知ってほしいと思っています。認知症にも数種類ありますし、各人各様症状が異なりますから確定診断はお医者様に委ねる訳ですが、お医者様の前まで連れて行くのは遠く離れて暮らしていても「家族の仕事」なのです。

義母の個人情報保護については充分理解しています。本人より承諾を得ることは叶いませんが、ここまでは大丈夫という範囲で記すことはきっと許してくれると信じています。

義母が中心に話が進みますが、私の母の話も少ししておきます。十年ほど前にサルコイドーシスという難病になってしまいました。人間ドッグで肺に影、わきの下のリンパがゴロゴロしていることから悪性リンパ腫の疑いがかかり検査を数度重ね現在の病名がつきました。良性の肉腫が臓器などにできる病気ですが今は左目を肉腫が圧迫しているようで殆ど視力を失っている状態です。治療方法があれば難病と呼ばれることもありませんから静かに付き合っていくより仕方がありません。

数年前には洞不全症候群で心臓ペースメーカーを装着しました。近所では有名な公立病院の循環器内科へ通院して年に一度はホルター心電図で検査をしていました。しかし大きな病院の難点で先生がちょくちょく変わり薬があるわけでもなくただ様子を診ているだけの状態でした。しかも母には病気の説明はありませんでしたから不安に思うのは当たり前です。そんな時、普段お世話になっている内科の義息子先生に診ていただける機会があり、病気の説明と心臓の調子の悪さを改善するためにペースメーカーが必要なこと、電磁波を注意する以外は生活に大きな影響がないことなどきちんと説明をいただき、義息子先生の執刀で無事ペースメーカーを装着できました。20センチ位離せば携帯電話も大丈夫で本人も気にすることなく携帯電話を使用しています。時々電池の残量を確認に行くくらいです。

ただ年齢的衰えは仕方がありません。目が不自由なせいか足が極端に遅くなりました。みっともないとか言って嫌がっていた杖を使いだしましたが役に立っていない様子で手押しのシルバーカー購入を検討しています。

私は二日東京に戻っていたため主人から聞いた話がほとんどです。旧友に両脇を固められタクシーで病院へ向かった義母でした。病院では小会議室のような広めの部屋を用意してくださり旧友の方々にも同席を願ったそうです。専門医を交え世間話しのような形態で診察を進め、やはり入院加療が良いでしょうということになりました。義母は自分が病気で受診しているなどと思ってもいませんから「わたしゃあ、病気じゃないけえね。家に帰るけえ・・」と言って立ち上がり部屋を出ようとしたそうです。外で待機していたのか、一緒の部屋にいたのか憶えていないそうですが、看護師がすっと現れ義母を囲みメガネをすっと外しました。その時腰のあたりを触った看護師が「キャ」と声を上げました。そう義母のズボンが尿でビショビショだったのです。手馴れたものでそのまま義母は病棟へ連れていかれました。義母本人に病気である事や入院の意思が全く得る事が不可能であったため、主人が保護者になることで入院を可能にする「医療保護入院」になりました。これは保護者選任といって家庭裁判所に申し立てをして保護者に選ばれなくてはなりません。家庭裁判所の審判を得て初めて母親の保護者となるのです。入院のための書類を記入した後、「認知症病棟」へ行ってみるとピンク色のレンタルジャージを着てテーブルにつき昼食を出され美味しそうに食べている姿がありました。周りは同じ認知症の患者ばかりですが大声で叫ぶ人、行ったり来たり忙しい人、下を見たまま固まっている人、襲い掛かってくる人、本当に多様です。

認知症病棟を備えた精神病院は実家の近くにあります。先日受診した内科医には入院は必至と言われていましたし義母の旧友の方々も非常に協力的です。それにすっかり甘えて私は一度東京へ戻る事にしました。

私たちが事務所を空ける間の体制を整え、顧客様になるべく迷惑がかからぬ様手配をしなくてはなりません。そして義母が病院へ行く前にしておく事がありました。財産にあたる物の確保です。入院させてからそっとすれば良いと思われるかも知れませんが、義母の財産ですから承諾を得ておきたいという気持ちがありました。抵抗された時、悪い息子になっては気の毒ですので私が悪嫁役でいきなり箪笥をあけました。

シエー。ゴキブリの巣になっていました。震える声で「お義母さん、権利書とか見つけたら東京で預かるね。これから出てきた書類を見せるから大切な書類かいらない書類か分けてください」と言いました。抵抗されるかと思いきやすんなり了解してくれました。そこで封筒に入った電話料金やつまらなそうなダイレクトメールを束にして渡しました。義母は一枚ずつ丁寧に開封し中をじっと見ています。その間に大切そうな書類を主人に渡して確認してもらいました。いつ洗ったのか理解不能な衣類とダイレクトメールなどの書類が同じ引き出しに同居していました。義母はぜんぶ大切な書類だから捨ててはいけないと私が預けた封筒を全部取っておくようにと言いました。義母の答えに認知症という病気の姿を見たような気がしました。主人から託された書類を手に私は東京へ、でも二日後私は舞戻り実家でゴキブリと大格闘しているのでした。

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