最終章 そしてお引越し

義母の49日を終えて、まだまだ続くお話は、新しく作った「ひとりごと」へお引越しします。

ひとりごとの方では、義母の法事や親戚との話。私を取り巻く人間模様など、あたりさわりのない程度でお知らせしようと考えています。

認知症義母日記に長い間お付き合いくださり、ありがとうございました。

お友達へのハガキ

認知症発覚の時、大変お世話になった義母の同級生の人たちへはがきを書きました。本当なら封書が良かったのでしょうが、あまり大げさにしたくなく、同級生ですから寂しい思い出にしたくなかったのです。つい最近まで見舞ってくれていた方もいます。何故葬儀の連絡をしなかったかは、やせ細って元気な時の顔とは全く別人のようになってしまった母を親戚以外の方に見せたくなかったのが本音です。

数名の方にはがきを出しました。

最近まで見舞ってくださっていた同級生の方から電話がきました。たとえ一人でも連絡をもらえるとうれしいものです。何にもしゃべれなかったけど、ニコニコとしているだけで、私のことわかっているのだと思っていたと、語ってくださいました。本当に感謝しています。

49日の法要は東京で

宗教によって、しきたりがあるようですが、私は毎週七日当りの曜日の前日に花を替え、その日に線香を立てることを繰り返しました。49日は、築地まで行く予定をしていましたが、長男夫婦が子連れで来るというので何とか近くでと思いホームページを見た所、近くに別院があり電話をすると法要が可能とのこと。

法要の日、長男夫婦と孫、次男、私たちで手を合わせお参りできました。

成年後見人としての最後の仕事

家庭裁判所に母が亡くなった旨の報告をすると、書類が送られてきます。いつもの報告と同じように書類を作成し、期日までに提出します。

母が亡くなった時点で、成年後見人としての仕事は終了します。〔実際には書類提出で終了ですが〕成年後見人は、相続人ではないので、〔主人は相続人です〕書類関係を相続人代表の方に渡して終了します。

5年と数ヶ月の仕事でした。実際に認知症と診断されてからは、7年と数ヶ月、本当は診断前が数年あったと思いますが、今となっては語りようがありません。

ただ今は仕事をするだけです。

広島で過ごす最後の日

本当なら東京の仏壇に祭壇を造り49日の法要までお骨を安置するのが常識なのでしょう。京都のお寺に電話をして聞いてみると、「一度戻って、また京都まででは大変でしょう。お骨は京都へ安置して東京でお参りすれば良いでしょう」ということで、僧侶のご意見に従うことにしました。

今夜は、広島でも思い出深いグランヴィア広島に宿泊することにしました。おじいちゃんが存命の頃、毎年息子たちを連れてきて泊まった思い出のホテルです。ここでよくご飯を一緒に食べました。その当時はステーションホテルだったのですが、今回ここがおばあちゃんの終着駅になってしまいました。

ホテルはリニューアルされたようで、リッチな気分にさせてくれる最上階の部屋です。広島の街の灯りが一望でき、灯りが精霊流しのように映ります。

おじいちゃんが亡くなってからは、ずっと京都の旅館に宿泊してお墓参りがてら観光をしたりしていました。おばあちゃんが認知症で倒れるまで毎年、たとえ忙しくて日帰りになっても息子たちは、文句も言わず毎年つきあってくれました。いろいろな事を思い出します。明日、京都は混んでいるかしら・・・。

息子たちの想い

気の利いた長男のお嫁さんから、告別式当日の朝、電話がきました。生花が間に合うのならすぐに手配してくれるとの事です。確かに祭壇は花でいっぱい、綺麗ですが、グループホームから生花が届いただけでしたので、親族一同だけではちょっと寂しいなと感じていたところでした。

生花は対で、即飾られ、「孫一同」と、会場に来れなかったことを詫びるように思えました。生後2ヶ月の赤ちゃんを抱え、頑張ってくれました。

お花畑にいるように、明るい花に包まれ最期のお別れをしました。

親戚に見送られ

その土地の風習や葬儀の仕切りなど、何もわからない私たちです。こんなことも知らないのと言うほど宗教についても知らないことだらけで、母を目にしてもどのように進行するかに追われてしまいました。

広島では、亡くなった日に通夜、翌日告別式が一般的だそうで、東京では火葬場から逆算で葬儀が決まるのとはちょっと違います。母は夜中に亡くなったので翌日昼過ぎ私たちが到着した日が通夜になります。早速葬儀屋さんの出番です。予約していたとはいえ駆け込み葬儀のようなものです。しかし、商売うまいことできていて、一番ランク下からプランを見せられる。たとえ家族葬でもこのくらいはしてあげたいと故人を目の前に思うのです。というわけで、お花でいっぱいプランを御願いしました。会場に宿泊もできるのですが〔線香の火を絶やさない〕今は消防法で禁じられているようで、例えるなら傘のようなクルクル細く長く巻いた小さい線香をつけるので、他に宿泊される方も多いですよ。と近くにホテルを取ってくれました。

荷物をかかえ、ホテルへ移動して着替え休む間もなく会場へ戻ると、祭壇が本当に綺麗にできていました。さすがプロの技。

本来なら仏教婦人会で活躍していたお寺から、御住職にきていただくのが常識なのでしょうが、会場が遠方になってしまったため、葬儀社に相談したところ、同じ宗派ならこの近くのお寺の御住職で大丈夫とのこと。昔から親しんでいた御住職でなくてごめんね。でもおかげさまで親戚が集まってくれましたよ。

いつ逝っても・・連絡待ちのつらさ

母がいたグループホームは、看取りまで行っています。認知症は進行性の病気ですから悪くなることはあっても良くなることはありません。身寄りの無い人、生活保護の人の場合、ホームでお別れ会を行っているということです。ホーム長に相談すると、やはりセレモニーホールを利用するのが一般的になっているとのことでした。「家族葬」ができる会社を知っているとのことで、紹介してもらいました。その時になってどうしようとなる前に事前に仮予約をしました。もしもの時、何時であろうと、母をホームから会場へ運んでもらえるようお願いしました。

たった今、亡くなりました。と東京で電話を受け、私は葬儀社に連絡をし、親戚に連絡しました。あんなに大丈夫さようならを言ってきたから覚悟はできていると言っていた主人なのに、目が真っ赤か、連絡は頼むと言ったきり黙りこんでしまいました。とにかく連絡事項だけは全部して、翌朝でかける支度をして、明日から数日事務所の留守番を妹に託しました。本当なら私の両親、息子たちも参列するべきところ、高齢の両親の足取りを考えると無理させられず、息子たちもそれぞれの仕事、学校とを考えると参列は無理と判断しました。

こちらから、冥福を祈ってくれたらそれで十分だから・・・。両親も息子たちも了解してくれました。

ホームで綺麗にお化粧をしてもらい、深夜にもかかわらずホームから見送られ母は、セレモニーホールへ移動しました。

最期の九日間を懸命に生きました

元日の昼、何とか母の元に着き主治医から経過報告を受けました。先生も、正月だというのに、いつもと同じように患者を訪問診療してくださっています。訪問看護師の方も同じです。

血管が薄く平らになってしまい、もう点滴の針が入る隙間がない、これ以上の延命はほぼ無理であるとの事でした。普通、認知症の患者さんは、他の合併症もしくは既往症で亡くなる方が殆どですが、食べる事を忘れ、飲み込むことを忘れ、息をすることを忘れ・・・というように、認知症本来の姿で亡くなっていく人は少ないのですよ。と先生がおっしゃいます。

主人が先生に、もしこの状態に自分の母親がなっていたら、先生はどのような処置を施しますか?と訊ねました。先生は少し考えられてから、もう充分に手当てしたと思う。治療してまた笑ってくれるなら、話してくれるのなら何か方法を模索すると思うが、もし治療できたとしても、もうこの状態より回復の余地がないのであれば、静かにその時を迎えさせたいと思う。と話されました。

何度も覚悟してくださいと言われてきましたが、本当の覚悟の時を過ごさなければなりません。母には「自然死」の選択しかなかったのです。せめて、私たちがここにこられる6日までに看取れればと願いましたが、無情にも、母は生き、9日夜ホームの方々に看取られて静かに逝きました。母の兄弟も前日までにお別れのお見舞いに来てくれて母も幸せだったに違いありません。

覚悟を決めた正月の間に葬儀の相談をホーム長としていました。

義母の状態が不安定でいつ逝ってもおかしくない状況の中、「年賀状」をどうするか迷っていました。クリスマスが過ぎ、元旦に届かないにしても、やはり出そうと決めいざレイアウト・・・。プリンターが動きません。事務所の用紙はA4、B5、B4が主流でコピー用紙も薄いので大丈夫なのですが、ハガキは紙が厚く小さいので送り部分が難しいようです。

自分で印刷するのを諦めました。先月生まれた初孫のお宮参りの写真を業者に依頼、とりあえず宛名だけ書き込んで大急ぎでポストへ。家族写真の年賀状なんて初めてで何だかドキドキものです。

どたばたしながら、年末を向かえ大晦日の午後、グループホームから電話来ました。

前回の血液検査から一ヶ月。その日は土曜日だったのですが、採血をしたそうで翌日曜日の午前中、電話で検査結果を家族に知らせたい、と主治医から伝えるようにとグループホームから連絡がありました。

日曜日の午前中も診療をしているので、診察前が良いとのことで朝8時に主人が電話しました。結果は「良好」

信じられないと主治医も言ったそうです。検査項目すべて正常値のラインに・・・。でも食べられない・・・・・・・・・・。治療の方向性は同じで、毎日300〜500㏄の点滴のみです。

今年1月に亡くなった伯父の一周忌のために調度帰広していました。ここまで持たないと言われていただけに義母の生命力の強さを感じます。

時間のかかった審判だと思います。

主人は、母の確定申告の請求だけでも仕方ないと思っていたようです。

内容は、詳しく書きませんが、成年後見人になってから5年間分、それぞれそれなりの報酬を受けられました。仕事的には私のほうが多いのですが、何故か主人の方が多かったのが、ちょっと・・・。

前回、もう駄目かも、、、という悲痛な電話の意味は、急激に酸素濃度が下がり、チアノーゼが出てしまい電話をくださったものだと判明。酸素吸入をさせてくれません。手で剥がしてしまいます。鼻に直接あてるのも嫌がります。

その週は様子を見に私一人で帰広する予定でした。でもホーム長からの電話では、予断を許さない状況になってきた、、、とのことで、二人で行くことにしました。

「誤嚥性肺炎」でした。少し食すようになったのは良いことなのですが、食すと「痰」が溜まるのです。のどのところでゴロゴロ音を立てているのがわかります。これが「誤嚥性肺炎」の素のようです。抗生剤が効いたのか高熱からまる四日目に私たちが到着。熱も安定し絶食から開放されました。大好きなアイスキャンディを食べさせてもらい、のど越しが良いのかごっくんと飲み込みます。エンシュアなどの高カロリーゼリーは、大嫌いの様子で食しません。

翌日、訪問看護師の点滴中にお邪魔しました。腕からの点滴は血管が細すぎて難しいらしく、足からの点滴で、針を刺した部分が動かないように、看護師の方はベッドに上がり、労わるように本人が騒がぬように足をそっと抑えていました。眠っている時の点滴は楽なのですが、とにかく手足をぐいぐい動かすことは本能なのでしょうか、とにかく身体、特に手足をよく動かします。心臓から遠い足からだからなのか、500ミリ一本を一時間少々で入れ終わりました。前回にはなかった「エアマット」が敷かれていました。床ずれの予防になるそうで、本人も楽そうに見えました。

体重は確かに減っていると思われるのに、血液検査で異常値がありません。慢性C型肝炎を持っているのに黄疸がでないのが不思議とお医者様もビックリ。正常値の一番下のラインばかりですが、正常値に違いありません。私たちより健康じゃんなんて軽口が飛び出すほどです。

のどがゴロゴロするときは、点滴後に痰の吸引、苦しそうですが自力で出せないために肺炎を起こすのですから仕方ありません。吸引すると、ゴロゴロ音はなくなり楽そうです。

誤嚥性肺炎、熱、抗生剤、少しの食欲、点滴、痰の吸引の繰り返しがこの先、あるのでしょう。

とにかく静かな人ではありません。このまま静かに最期なんてあり得ません。この先振り回されるのを覚悟した私たちでした。

ホームでは、義母のために特別食を用意してくださいます。食べるか食べないかは、義母次第なのですが、その日の献立の中から工夫していると連絡がありました。

そして、義母も好きな食べ物なのか、口当たりが良いものなのか、食すことがあるのです。

口を開く、口に入れてもらう、噛む、飲み込むの動作の内、義母は飲み込みが出来ないのです。

ホーム長は、お医者さんは絶食でよいと言ったけれど、家族だったら何か食べさせたいと思うのが心情。私たちもこのまま、看ているだけなんて出来ないので、起き上がりが出来る間は食事の用意をさせてください。とうれしい言葉をいただきました。

おばあちゃん、この家にして良かったね。

介護をしてくださるスタッフが、みなさんとても優しくて温かいです。

とても忙しく働いていらっしゃるのに、更に気を使ってくださり感謝、感謝です。

義母は、毎日点滴を受けることになりました。

300㏄は、人の身体にとって微々たるもの、足りるはずもありません。しかし点滴をしている1時間半を義母は動いてしまいじっと出来ません。訪問看護師がずっと付き添っていなければならないのです。

グループホームは介護保険扱いで、医療については高齢者医療保険が利用できるのですが、限度額があるようです。詳しくわからないのですが訪問看護の限度が2週間分までで、そこからは自費になるようです。

義母の場合、点滴と訪問看護のセットなので、月額にすると20〜30万円位はかかるらしいです。

主治医の先生がおっしゃっていました。食べなくなったら何もしないホームもありますが、ここのホームで世話をしてくれる方、遠方の家族の方が、点滴をすることで緩やかな自然死をと望むのは、お互いのために慰めになる。何であの時・・・という後悔の念はさほど強くないであろうと・・・。

義母は何を想っているのでしょう。本当にもう何もかもわからないのでしょうか。つい十日前の誕生日の写真は、笑顔だったのに・・・。今はその面影さえ嘘のように痩せてしまいました。

2年に一度の定期提出の封筒が届きました。

もう少し遅らせてもらえないかな。という私のつぶやきを聞いていた主人が、裁判所は絶対だから、いつまでと言われたら厳守しなくてはいけない。またすぐに書類提出になるだろう、でもこの期間の仕事は提出しなくてはいけない。

了解。早速通帳記帳、コピーをして、書類を整えて期日よりもずっと早く提出できます。

今回の提出で、後見人報酬を請求することにしました。

これは以前から決めていた事で、義母の自宅を売却した際に税理士として譲渡所得の確定申告書を作成していたり、これまでの5年間の成年後見人としての仕事に対する評価を裁判所がどのように審判するのか知りたかったからです。たとえ肉親であっても、報酬があってこそ仕事であり、また継続していこうという意欲がわいてくると思うのです。

申立をすると言ったのは主人です。正当な理由がありますから・・・。

毎月の仕事をしている私には、どんな審判が下るのでしょう。

その日は、土曜日。診療は午後1時までということで、何とか時間内に行こうと必至で早起きしてグループホームへ向かいました。

ホーム長の出迎えで、義母の元へ・・・・・。またまた小さく細くなった義母です。

主治医に連絡してくださり、午後診察終了後に往診があり、行く途中なのでホームへ寄ってくださるとのこと。

先生が見えるまでの間に、私たちは東京駅で買ったお弁当を義母の部屋で食べさせてもらいました。

先生が到着され、ホームの診療室へ呼ばれました。

義母は認知症の末期であること。

1.胃ろうを病院に入院して造る。

2.中心静脈を固定し一定の栄養を流す。

3.腕、足などの血管より点滴剤に少量のビタミン類を混ぜ点滴する。

胃ろうをしても今以上の回復は見込めない、とにかく手が活発に動くので中心静脈を抜いてしまう恐れが高く危険が伴うため出来ない、と言われ残る3番を選択する以外なくなりました。

1日300ccの点滴をすることになりました。

義母の生命力が1ヶ月もつか2ヶ月もつか、カウントダウンが始まりました。

これが最良であると先生、ホーム長、私たちで話し合った結果です。

点滴のおかげか少し食欲が戻った義母です。食す量は、そのたびにむらがあり、朝食べ、昼食べず、夜少しだったりと、一日分には足りない状態です。

そんな生活が三週間位続いたある日、一本の電話が・・・・。

また拒食が始まりました。たぶん今度は乗り切れないと思うというグループホームからの電話でした。

一度電話を置き、主人と相談し明日一番でそちらへ向かう旨を伝えました。

このごろ、グループホームからの電話が多くなり、今度は何だろうと、ちょっとビクビクしていました。

ってところへ電話が入りました。

数日前に38度台の熱を出し、翌日まだ微熱が残っていたことから、主治医に往診してもらいました。このごろ食事でむせてしまうことが多いので、「誤嚥性肺炎」を心配していましたが、肺炎ではないということでした。熱のせいで食欲がないのだと思っていたのですが、熱が下がっても口を開いてくれなくなりました。脱水が心配なので静脈点滴をしていますが、何とも嫌がりまして自力で抜かれてしまいます。

義母はそれでなくても血管が細く、週2回のミノファーゲン静脈注射で血管が硬くなっています。やっとの思いで、訪問看護師さんがセットしても、腕に力を入れて筋肉の力で針を押し出してしまうのだそうです。

というような内容の連絡でした。

私たちは、拒食になった時を一番危惧していたのです。

今は、点滴をしながら様子をみる以外方法がないという主治医に従い、次の連絡を待つことになりました。

今私たちに出来ることは、仕事を前倒しして2日くらい事務所を空けられるようにすることです。

飲み物が上手に飲み込めない義母ですが、この間まで固形物はモグモグ食べていました。

ところがです。固形物を口に入れるとむせてしまい、食べられないというのです。現在半ミキサー食にしてもらい、食べさせてもらっています。半ミキサーで完食している状態ですが、ほとんど噛まないで食事するためでしょうか、頬の筋肉が落ちてプリっとした感じがなくなってしまいました。

以前、何かの雑誌で、北欧の国では「寝たきり老人」はいない。経口より食事を摂れなくなった人には食事を与えない、胃ろうや点滴など医療行為はしないで最期を迎えるのだと書いてありました。国民性や宗教など考え方がいろいろありますが、何とも複雑な気持ちでした。

今、しばらくは半ミキサー食で暮らせるかもしれない。でも確実に完全ミキサー食になるでしょう。その後は食べる行為を止めてしまう・・・。言葉を発することが困難な義母にどんな答えを出してあげたら、お互い辛くないのでしょう。

義母の笑顔が少なくなってきているのも気がかりです。

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