得体の知れない罪悪感
親の老後は子どもが看るのが当たり前・・・の世代に育った親。母もそう口にしていました。当たり前の事なのだと・・・。
私は、母を老人ホームに預けたことを後悔していません。でも、ほんの少しのことでも罪悪感に駆られてしまう私が存在しています。それは母の本当の気持ちを聞く前に、母の考える脳は壊れてしまい、聞けずじまいになってしまった事かもしれません。押し付けの幸せかもしれない後ろめたさが、私の中にきっとあるのだと思います。
いろいろな事柄を目の当たりにしながら、生活しにくくなっていく母を、支えきれなくなったからこそ老人ホームという選択をしたのだから、この得体の知れない罪悪感とも共存していかなくてはならないのです。
なんだかな・・・春は少し憂鬱な気分。