酸素ボンベと車椅子

今回の入院で、酸素ボンベと車椅子が追加になった母です。入院時に輸血をしたのでいくらか顔色も良くなりましたが、詳しく検査をするには気の毒な年齢で、無理もさせたくないという家族の想いもあり、・・・の可能性、・・・の可能性、・・・の可能性、すべて推測の診断をいただきました。

そうなんです。母は、またまた緊急入院をしていました。病院でも、もう来ないでねと念押しされてしまい困惑しています。

医療の現場では患者を選ぶ?のかな。もしもまた救急車騒ぎが起きたとき、搬送先が無いと心得なければならないのでしょうか。

心配していましたが・・・

母の介護保険の更新申請の結果が出ました。要介護2でした。とりあえず、介護が付いたことで今の施設を出る必要はなくなりましたが、介護度が3から2へ変更になったことから、特別養護老人ホームへ出していた申請がポシャになりました。

母の意識がしっかりしている時は、今のままが幸せなのかなと思っています。

安心して仕事が出来るのは、プロの介護の手があるからこそ、本当に感謝、感謝です。

辛い五十肩 その3

とにかく夜間痛が酷く、夜中に何度も起き上がり、痛みが引いた頃、また横になりを繰り返しています。昼間も腕や肩に鈍い痛みを感じパソコン作業は、右手にすべての負担がかかっています。温めると少し楽なので、衣類に貼るカイロは手放せません。何だかんだで半年越しました。もしかしたら今がピークかもと思いながら、耐えるしかないのかな。先生が場所を吟味して注射してくださるのですが、効果がわかりません。大きな砂漠にスポイトで水を落とした感じ、水は直ぐに砂に浸透して乾いてしまう、そんな感覚なのです。あーあ腕をブンブン廻したいよー。

ひ孫が孫に変身

母は息子一家の家族写真を見ながら、これ孫・・可愛いねと、ひ孫に指をさしています。いやーね、その子は、あなたのひ孫、孫は後ろに立っているこのおじさんよ。と言うと母は大混乱。この男の人は知らないけど、この子(赤ちゃん)は、私の孫よ。と言って聞き入れません。確かに息子が幼かった頃にそっくりだけれど・・・。ってことは、うちの下の息子の写真、アウト。うちのダンナの写真、あんたのとこのダンナまで出たものの名前アウト。妹が嘆いていたけれど妹家族はアウトのみ。娘の名前がわからなくなっていたそうな。

生活する範囲にいない人のことは、忘れてしまうのでしょうか。ちょっと寂しい気分になりました。

母の介護認定更新に立会い

介護施設で元気に暮らしている母の介護保険の認定期間の終わりに近くなり、更新しなければなりません。今いる施設は要介護1から5までと規定がありますので、現在要介護3の母は何としても要介護1以上が必要になります。前回は自宅にいて、あれもこれも出来ないことだらけだったのですが、今は殆どの生活に対して人の手があり、歩行カートもレンタルしているので、館内を歩くことにも不自由はありません。ケアマネが目をクルクルさせるほどの勢いで立ち上がってみせたり、補助無しで歩いてみせたりと、またまた母はやってくれました。

あーあ、どうしましょう。調査員の方に聞いてみました。あのー、要介護がもし付かなかったら今月中に退去しなくてはならないのでしょうか?

本当に素朴な質問ですみません。今の母を見ると不安しかありません。調査員の方は少し困った様子をされましたが、その時は意義申し立てをしてください。そうすると再調査の対象になるので、もっと詳しく聞き取り調査やお医者さんの意見を聞いたりして再判定をします。と話されました。

どちらにしても、1カ月内に出る最初の判定待ちになりました。

辛い五十肩 その2

余りにも長く続く肩の痛みに、難儀しています。整形外科の先生は、注射が効かない、湿布も効かない、飲み薬も効かないのなら、私のすることは無いと勝手に怒ってしまい、私は診察室から追い出されてしまいました。呆然とする私に受付の人が、明日大先生の診療日だから明日来て看てもらったらと提案されました。そうか、最初からそうすればこんな事にはならなかったんだ。大先生には、開院された頃より何かとお世話になっていて気心も知れています。何だか訳の判らない怒りを受けたけれど、本当は患者の私が怒鳴りたかったかな。医者のする態度じゃないだろう・・・何様じゃあってね。

そんなこんなで主治医が変わり、痛みは相変わらずで、先日MRIを撮りに行ってきました。久しぶりに「ドンドンガンガン・・・」をしてきました。

今年こそはの胃カメラ

ある方の紹介で事務所の近くに無痛麻酔使用で胃カメラの検査が出来るクリニックを知りました。今年はペプシノーゲンの検査のみでバリウムも胃カメラもしていません。そんなこんなで予約をして検査に望みました。

左肩が病んでいるのに左が下になるとは・・・当然のことでした。点滴をしているのに、余り効かないみたい、意識あるし、ギエー、カメラが入るの判るなんてほら次はグリグリ・・・そこから意識無くなりました。終わりましたよと言われ、部屋を自分の足で歩いて移動して暫く休んでいたのですが、大丈夫ですかと声を掛けられて眼が覚めたのは1時間15分後の事でした。何となくフワフワした感じのまま事務所に戻ったのですが、少し食事をしても何となく頼りないフワフワ感が消えず、あと1時間の我慢が出来ず16時に早退させてもらいました。

結局、昨年と同じ早退になってしまいましたが、身体的には今回の麻酔検査が楽でした。ポリープも心配なものではないそうで、ほっとしました。

要介護から外れたらの心配

来年早々、介護保険の更新がある母です。介護保険が何ぞや何も知りません。ただ、体調は絶好調のようです。口腔内も綺麗に治り、歯医者さんに新しい入れ歯を作成して貰い、大満足です。歩行器をレンタルしたおかげで、結構な速度で早足も可能になりました。部屋の中では、薄着で充分暖かいし、至れり尽くせりの生活、なんてうらやましい。今が一番幸せと語ります。

体調が悪かった時との落差に、もしかしたら介護保険の更新時、要介護もらえないかもの心配が出てきました。要支援になってしまうと、今いるホームにはいられなくなってしまう・・・知らぬが仏。結局周りが焦り始めた今日この頃です。

辛い五十肩

なんとかしてーっと喚きたくなるほど、ある方向に腕を動かすと肩から腕にかけて激痛が走り、ジーンジーンと痛みが去るのを待ちます。前方向は別段問題ないのですが、洋服を脱ぎ着する時の斜め後ろ方向がマズイです。Tシャツ系かぶりものは腕が抜けなくて辛いので、前空きのブラウスばかりになりました。整形外科へ行き、最初は痛み止めの注射、二度目は麻酔系の注射、三度目からはヒアルロン酸になりました。平行して理学療法士によるリハビリも開始していますが、一進一退の状況です。少しいいかなと思う頃に孫の運動会やら何やらで・・・気は紛れるけれど痛みは翌日確実に増してしまいます。

肩の筋肉が落ちているのが、目で観てわかります。仕事に支障が無いことが有難いです。手首保護のパットで環境が改善されています。

二人目の孫・誕生

定期健診で。3000グラムを超えたらしいから、計画分娩にするよ。と息子から連絡がありました。私が息子を出産した頃は、計画分娩もあったけれど、陣痛促進剤の投与ミスで子宮破裂とか、ちょっと引いてしまう感じでした。

嫁ちゃん、朝入院して、点滴しながら昼食をばっちり食べ夕食前には、お産完了。お産は軽かったものの、元々貧血な上に1000CC以上の大量出血と血圧不安定で、真っ赤な点滴をしたそうです。3500グラム越え51センチの名無しのごんた君が無事誕生しました。

母乳は抑え気味にして、ミルクを足すように指導されたと言っていました。母乳は血液から出来ているのだから、貧血のお母さんが無理をしたら、貧血が中々治らない。無理しないでミルク飲ませてね。上には、手の掛かる兄ちゃんもいるのだから。母乳が愛情と何か勘違いしている方もちらほら聞きますが出ない人は出ない、病気であげられない人だっている。ミルクだってちゃんと育ちますよ。心配いりません。

放置していた親の部屋

母が施設に居を移して約一年、放置していた部屋から異臭もあり、今回業者に入ってもらい整理してもらう事になりました。下準備で妹が衣服などを袋に入れて準備していましたが、普段生活していた部分ではないところから、大量の引き出物などが発見されたり、まさかここからと云う所から品物がゴソゴソ出てきたりと大変でした。

一番の臭気は、下着でした。新しく購入しているものに手をつけず、たぶん何日も同じものを着てから洗濯したものだから臭いが落ちない。臭い移りが次から次へとなので、俗に言うところの加齢臭なのですが、耐え難いものでした。

母がもし施設になじめなかったらと思うと中々片付けへの一歩がでなかったのです。

綺麗に何も無くなった部屋の床は、黒カビの温床でした。床の一部はフワフワしていて、危ないです。結局もっと早く整理すれば良かったのです。母のせいにしてしまっていたのは私です。心のケジメがつけられないでいたのです。いざ何もなくなるとサッパリしたなと思えてしまうのが不思議な感覚です。

今度は自分の衣類や食器を整理してみようかと思っています。

訪問歯科医の見解

内科医の言葉で母は、自身の舌を噛み切ったと思っていた私ですが、そしたら恐ろしいほど大量出血するだろうし、もっと早く連絡が来るだろうしと色々考えていました。入れ歯の関係で訪問歯科の診療予約があり、その日にホームへ行ってきました。

「これはね、肺炎で入院している間に入れ歯を外して貰えず放置したため、歯茎と金具が合体してしまい炎症をおこし、舌に潰瘍をつくってしまったのだよ」と説明を受けました。実に明確で判りやすい。「反対側は変色しているけど潰瘍が治ってきた部分、こっち半分は入れ歯が合わなくて潰瘍がまだ痛んで傷を作っている部分。入れ歯の金具を削れば大分楽になるけれど、潰瘍が治ったら入れ歯作り直しですよ。保険で出来ますよ。」

見た目、おじさんというより白髪の痩せたお爺さんって感じの風貌ながら、話上手な先生で安心しました。治療の手際の良さで母も安心したみたい。治療が終わっておやつですよと差し出された母の皿には、ムースになった今川焼きらしき物体がありました。まあこれだけ口腔内傷めているのだから固形は無理だわ。とて、身体のために食べる母ではなく、痛くてね食べられないの、どうしましょう、今の先生に痛い事しらせなくちゃいけないわね。なんてとんちんかんな話をしているし、舌の動きも気になると歯医者の先生が言っていました。今度は内科の先生に相談かしら・・・。

母、舌を噛み切る

ペースメーカーの電池交換、誤嚥性肺炎と入院続きで、少し痩せた母がまたまた騒ぎを・・・・

身体が痩せると入れ歯が合わなくなるのは知っていましたし、往診の歯医者さんにも看て貰っていたので安心していたのですが、どうも部分入れ歯が合わなくなっているのを知らせられなかったようです。電話をいただいて内科の往診日に合わせてホームへ訪問、母に口を開けて貰うと・・・

シエー。舌の一部が無い、変な表現なのですが、無いのです。内科の先生も診てビックリでもなく、「軟膏を出しましょう」で終わり。どう考えても自分の歯で噛み切れる形状ではないので、部分入れ歯の止め具で切ってしまったようです。

このまま、化膿しないでくれたら良いのですが、口腔外科受診が必要になるかもです。今度は歯医者さんの往診日にホームへ行ってきます。

成田でうなぎ

毎日、暑くて身体に堪えます。エアコンも一晩中付けていると朝起きたとき何だかだるいし、かといって付けないと嘘の様に汗をかいてしまいます。水分を補給し過ぎると腹痛になり、足りないと脱水になりと非常に面倒な身体をかかえている私です。こんなときは、「う・な・ぎ」食べて元気になろうよって、うなぎ大好きな主人が言いますが、それほど私は得意じゃない。もちろん嫌いではないけれど・・・。日曜日、ちょっと早起きして成田までドライブを楽しみました。都会を抜けて下町を過ぎ、千葉県に入り、田んぼが広がり、なんとも良い景色。成田空港が近いからか、トランジットらしき外国人が沢山いました。何回か来た事あるのですが、とりあえずお参りをして参道の方へ吸い込まれました。お昼より少し早かったのですが、うなぎで人気のお店は行列、整理券、人がごちゃごちゃ。うなぎ目当てなのは日本人ばかりのようです。並ぶとか整理券とか行列が大嫌いな主人がここと選んだ何気に混んでいるけどそれ程でもないお店に入りました。畳敷きなのに低めのテーブル席になっていて、程ほどにエアコンが利いていて一席だけ空いているってなんてラッキーなんでしょ。

お値段は、中くらいのでしたが、上手に焼けていて「伝統のたれ」も調度良く、残したら申し訳ないなと思いつつ完食しました。梅雨明け前から体調がいまいち悪くて、何を食べても半分くらいしか食べられなかったので、自分でもビックリです。それだけ美味しかったのだと思います。

母 退院

10日程の入院生活でした。運び込まれた時に比べれば顔色もいくらか良くなりました。「元の病院へ戻してちょうだい。」元の病院というのは、老人ホームのことで、母の頭の中で出来上がったネーミングらしいです。そういえばディサービスを利用していた頃は、「学校へ行く」と言ってましたっけ。

今回の入院で、今まで内服していた薬の調整がありました。3種類の睡眠導入剤は、眠れない時1錠になり、うつ病の薬は無しに整腸剤も無しになりました。血圧を安定させる薬が主になりました。眠れない時1錠は介護してくださる方には負担になりような気がしてなりません。

母よ、ご飯は慌てずに、ゆっくりよく噛んで食べようよ。

退院後の治療計画には、認知機能の低下があり、誤嚥には注意してください。と書かれていました。

母 再度入院 その2

前回の入院と同じように、センサーマットを敷き、点滴針のところには分厚い包帯、それでも引き抜いてしまおうとするので、車椅子に座らせベルトで拘束してナースステーションに一日いることが日課になってしまいました。昨日、点滴は外れたみたいです。

その日は、病院、家族、ホームとの話し合いが持たれ、退院日の調整がありました。 

誤嚥性肺炎というのではなく、たまたま肺炎が見つかった。よくわからない説明を受けました。どちらにしても治療が終了したのだから早く早く退院してくださいね。という感じてしまうのは、何故かしら。

ホームでは、来週の後半に出来ませんか?なんて言っているし、いろいろ調整が大変です。退院させるのは家族である私たちなのに、完全に無視みたい。この先、何度もあるのかと少し気が滅入るのでした。

母 再度入院 その1

ある休日の夕食時間にホームより電話がありました。母が夕食時に「魚のフライ」をのどに詰らせてしまい、吸引器で取り出したものの、呼吸が出来なかった間に「チアノーゼ」が出ているので救急車を呼びました。救急車はまだ到着していないとのことです。とりあえず、救急車が到着して病院が決まったら電話をくださると決まりました。妹に早速電話したところ、妹のダンナ様が車を出してくれるとのこと。良かった。急いで猫のご飯を準備して直ぐに出られる仕度をしたのですが、電話がなかなか来ないのです。救急車が到着しても病院が決まるまで時間がかかるのは常で、先週孫ちゃんの時にも経験しました。待つこと十分ほど、ようやく電話が鳴り、病院名を知らせてもらい妹夫婦に車で拾ってもらい出発しました。

知らない病院へ行くのは、結構大変でした。新築移転したばかりの病院らしくナビの案内が無く、妹がアイフォン、私がスマホで地図を検索しながら、最終病院に直接電話して場所が判明しました。

母は、調度CTが終わり出てきたところ、酸素濃度も低く、肺に肺炎の影があることから「誤嚥性肺炎」で入院となりました。

でも、喉詰まりで来た筈なのに、急に肺炎になってしまうの?という疑問が・・・。

母、法要の開始時間に間に合わず

母をホームへ迎えに行き、余裕で法要の会場に間に合うはずの妹夫婦でした。ところが、ホームを出発してから暫くして、母が「トイレに行きたい」と言ったそうです。しかも「大」の方。田舎道でコンビニも見当たらないことから、ホームへ逆戻り、かなり時間をロスしてしまい、始まる時間に間に合わないと℡がありました。

私の方は、お客様へのお返しと、父の位牌、写真を持って、妊婦のいる長男一家を迎えに行きながら会場入り。親戚より先に着いていたいものだと、早めに到着したつもりが、僧侶様が一番でした。喪主である母が「トイレ」で間に合わない事を告げ、時間どおりの進行でお願いすることにしました。

定刻開始になりましたが、僧侶様はぎりぎりまで、仏教で言う説法?で時間を稼いでくださいましたが間に合わず、お経が始まり、各人お焼香の途中でやっと母が到着。本当にギリギリでした。

母は親戚を観ても名前は、誰一人わからず、来年は三回忌、この母を連れてこれるかしらと、ふと思うのでした。

夜中のトイレ 母転倒

母が住んでいるホームでは、夜間2時間おきに巡回があり、トイレに行きたいと訴えればトイレ誘導して貰えます。ところが、巡回と巡回の間にトイレに行きたくなってしまった母は、「我慢」など出来るはずも無く、本能のまま起き上がり、足がもつれ転倒に至りました。ここのところ数日、事件を起こしている母です。

もうすぐ、父の一周忌法要があります。何だか心配です。

母の入院

母は、ペースメーカーの電池交換手術のため、三泊四日の入院をしました。大部屋は介護が必要な人には難しいらしく、差額のかからない部屋があるとかで、ナースステーションに近い部屋に決まりました。

パジャマに着替えると早速、昼食が運ばれてきました。ビックリ・・・ご飯、汁物、焼き魚、お浸し、お茶、おしまい。残念不味そうなんです。ムムム、ダイエットになりそうです。

トイレに行くときは、ナースコールをするように言われたのですが、全くできず、ベッド下にセンサーマットが敷かれ、完全管理の元、何とか電池交換をすることが出来ました。一週間後に外来でテープを外してもらい、私たちもほっとしました。今後の管理は、市内のクリニックに戻ります。

それにしても、母には全く持って意識が無く、「誰のペースメーカーがどうかしたの?」「何だか傷があるのだけど、私怪我でもしたのかしら」なんて言っています。

歩く足取りが、かなり危なくなってきました。掛け声だけは、ヨイショヨイショと言うのですが、足が前に出にくくなっています。

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