東北大震災 実母の実家

不動産のことで、ごたごたしていた3月11日、東京でも激しい地震がありました。家族の所在を確かめようにも携帯が使えず、都心にいたら帰れるだろうかと心配でなりませんでした。

私の母の実家は、宮城県石巻市です。

旧北上川の河口近く、私が小さい頃、住吉公園の小さな太鼓橋を渡ったり、石巻の名前の由来である石に渦のような巻きの模様が入った石を見たり、はぜ釣り、カニ釣り、川開きの花火と夏休みに石巻へ行くのが楽しみでした。長浜、渡波は当時は海水浴場で日和山からの景色は北上川の河口から左も右も海でした。ただ凄かったのは、南風の日は、かつおの工場?からくる猛烈な臭い・・石巻の臭いなのだと我慢していた記憶があります。お菓子やさんや八百屋さんの店先でとうもろこしや枝豆をふかして売っていました。遊びにきたのか・・ちょっとこさいって両手いっぱいに枝豆をもらったり、東京ではありえないことがこの街にはたくさんありました。私が中学生になるころから夏休みに石巻へ行くことは激減し、行っても一日、立ち寄る程度になっていました。

長浜が大きな漁港になったと聞いていました。大きな船がついて冷凍の箱詰めになった魚を倉庫へコンベアーで納めているのだと聞きました。

私が知っている石巻とテレビに映し出される石巻はずいぶん違っていました。

母の実家は津波にあい、住めなくなりました。

昔、亡くなった祖父が「地震がきたら、てんでんこだよ。」といつも私たち姉妹に聞かせていた言葉を思い出しました。昔チリ地震で川の水が異様に引いていく様子やそのあと大津波が来てたくさんの人が犠牲になった怖さを何度も話してくれました。きっと私だけでなく、石巻に住んでいる伯父伯母、従兄弟も皆同じ話を何度も聞いていたのだと思います。連絡が取れなくなって数日後、インターネットの掲示板の避難者リストに全員の名前を見つけることができました。教室は皆ばらばらでしたが偶然なのか皆同じ中学校に避難していました。

今は、それぞれ掃除をして何とか住めるようになった家族あり、仮設住宅に住む家族ありと今後を考えると大変ですが、日々何とか暮しているようです。

母が電話をすると「こっちは大丈夫だ。」としか返事がないようで、返って心配しているのですが・・・。

 

てんでんこ・・・家族がばらばらになってもとにかく1人でも逃げる。そんな意味だったように思います。本当の意味は違うのかも知れません。遠い記憶なのでお許しください。